「おじいさん、そんなところで何をしているの?」
突然、声をかけられておじいさんは驚きました。見れば足もとで小さな女の子がこちらを見上げています。
「日向ぼっこだよ」
おじいさんは少しだけ身体を動かし、席を空けました。女の子は身軽にベンチに飛び乗り、おじいさんの傍へ腰かけます。その一つ一つの仕草には小さな苛立ちが感じられて、おじいさんは「おや」と思いました。どうやら女の子はおかんむりのようです。
「あたし、ミータ」
おじいさんが名前を尋ねる前に、女の子は言いました。
「今、すごく怒っているの」
「ほほう、それは大変だ」
おじいさんはにこにこしながら続けます。
「何があったのか、話してごらん?」



 「ミータ、大好きよ!」
これ、あたしの一番好きな言葉。あたしが何か良いことをすると、いつもママが言ってくれるの。「ミータすごいわ、大好きよ!」、ママはあたしを抱っこして、たくさんキスしてくれるわ。それこそ雨のようにたくさんね。
 だからあたしはママのためになんでもしたわ。ママに言われたとおり、外から帰ったら手を洗って、身体をいつも清潔にして(清潔な女の子は誰からでも愛されるのよ。おじいさん、知ってた?)。あたしは子供だから、大してママの役には立てないけれど、でもママの代わりに家に入って来た虫なんかを退治してあげたりもしたわ。ママったら恐くて虫が触れないの! 信じられる?
 だけど「妹」ができてから、ママはあたしに見向きもしなくなっちゃった。いつも「妹」のことばっかり、キスも全部「妹」が持って行っちゃうわけ。
「ああ、アニー、大好きよ!」って、バカみたい。
あたしが少しでも「妹」に触ろうとすると、
「ダメよミータ、外で遊んでいらっしゃい」
って、家から追い出されちゃう。「妹」はまだ赤ちゃんだから、汚い手で触ると良くないんだって。あたしの手はいつも清潔なのに、失礼しちゃう。


そこまで話し終えると、ミータは胸をそらせて首につけたリボンをおじいさんに見せました。ミータの細い首には赤い水玉模様の、太い紐リボンが巻いてあります。右頬で大きく結ばれたリボンは、ちょうどミータの首筋に蝶が止まっているみたいです。
「このリボン可愛いでしょ、ママがつけてくれたのよ。ママの長い髪の毛にも同じ模様のリボンがついているの。お揃いよ」


 ママったら本当に「妹」のことばかり。今日も「妹」につきっきりで、あたしのことはちっとも構ってくれやしない。それでぶらぶらこの公園に遊びに来たってわけ。もうこのままどこかへ行っちゃおうかしら。ママに見つからない、どこか遠い街へ家出しちゃおうかしら。
 ねぇおじいさん、あたしどうすればいいと思う? 教えてちょうだい。


「そうだねぇ」とおじいさんは苦笑します。
 思い起こせばおじいさんも昔、ミータと似たような経験をしていたのでした。新しい家族ができて、その存在が疎ましく、おじいさんは家を飛び出してしまったのです。自分を愛してくれた家族を見捨てて。春風のように素早く、吹雪のように薄情に。
当時のおじいさんは、情熱の溢れた若者でしたから、家出も、目の前に広がった大きな世界も、ちっとも怖くありませんでした。いくつもの町を彷徨い、たくさんの女の子と恋に落ち、悲しいお別れをしました。今となっては美しい思い出ばかりですが、ほんの少し間違えれば命を落としていたかもしれないという冒険も数え切れないほどあります。治安の良いこの界隈も、一昔前は惨憺としていたのです。
 おじいさんはミータに昔話を語りました。外の世界で自分の見たものを包み隠さずミータに伝えました。楽しい思い出、恐い思い出、美しい景色、悲しい出来事、優しい人、危険な人、面白い人、困った人……多種多様な人間模様。
 おじいさんがひとしきり思い出を語り終えると、ミータは地面を見つめたまま考え込んでしまいました。女の子は一生懸命、幸せの計算をしているようです。どの選択が自分にとって一番幸せとなるのか考えているのです。
 しばらく経って、やっと発したミータの言葉は、
「あたし、家に帰るわ」
「それがいい」
おじいさんも言いました。


 数ヶ月が経ち、おじいさんがいつものように公園で日向ぼっこをしていると、ミータとその家族がやってきました。ミータと、ミータのママ。二人は同じ柄のリボンをしていたので分かりました。ミータのママの後ろからよちよち歩いてくる赤ちゃんは「妹」なのでしょう。さらにその後ろから背の高い女の人も続きます。「アニー!」、背の高い女の人は「妹」の名前を呼びました。続いて「マリー!」と、これはミータのママの名前でしょうか。
「マリー、アニーが転びそうよ。ちゃんと手を繋いでいて」
女の人のその言葉にミータのママが振り向きました。「はーい」と返事をして、ミータのママは「妹」と手を繋ぎます。
 そんな二人を見る、ミータはなんだか嬉しそう。どうやら、ミータはママと和解がとれたみたいです。ミータがママの肩に飛びつくと、ママは「妹」と手を繋いでいない方の手でミータを抱き上げました。
「良い子ねミータ、大好きよ!」
 おじいさんの目に映る、ミータの笑顔。その顔はどこか自分に似ています。別の世界に住む、自分の顔に。
 おじいさんは人生を後悔していません。外に出て、世界のありようを少しでも知ることができましたし、思い出しただけで涙ぐみそうな素晴らしい記憶もたくさん持っています。
 ただ、今とは違う選択をしていたら、それはそれで違う幸せが訪れていたかも知れない。少しばかりそちら側の幸せも味わってみたいところだけれど、それはどこか別の世界の自分がしっかりと受け取っているはず。おじいさんはそう考え、違う世界の自分に尻尾を振りました。
 するとどこか遠くから、確かに自分の嬉しそうな声が「ニャア」と挨拶を返してきたのです。






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2012.3.14